戦略とインテリジェンス

ijnavy.exblog.jp
ブログトップ
2013年 12月 02日

極意としての「自由」

赤羽根龍夫、赤羽根大介『武蔵と柳生新陰流』集英社、2012年、182~183頁。

「武蔵にとって兵法極意とは全身[惣体]が鍛錬によって「やわらか」「自由」になることでした。「やわらか」とは手も足も心のままにほどけた状態、つまり自由になることです。(中略)柳生新陰流においても極意は自由であり、この場合の自由は「手足身に所作はありて心になく、習いを離れて習いに従わず、何事もするわざ自由なり」とあるように、手足身の所作から生み出された技の自由なのです。以上のように武蔵も柳生も極意は自由であると言っています。」

インテリジェンスの分析においても、自己の知識や方法論に縛られすぎない自由なマインドが必要ですね。そのためには、知的な「鍛錬」によって自己の頭脳を「やわらか」にする必要があるということでしょうか。
[PR]

by Imperialnavy | 2013-12-02 17:08 | その他 | Comments(0)


<< なぜインテリジェンスは失敗するのか      韓国のインテリジェンス文化 >>